戊子五月十三日曇火
本日から少しこの右筆記の性格を変えようと思う。日々思ったことを書き連ねてそこから公開できるところだけブログに公開するようする。
今日やっと修論のテーマが決まった。表具だと範囲がでかすぎる上に古来よりだれが、いつ、どのようにが変えたのかということが残されておらず調査の仕様がないか、つぎこんだリソースに対して得る物が少ないだろうと判断したため。なので絞ることにした。何につけても道が決まってよかった。
おいらは元来の怠惰の性のため(かっこよくいうとボヘミアン風な)ピーンと閃かない限り動かない子なので、何か決まらないと動かない。いやはや、早く決まってよかった。
それはそうと、最近の学生、いやうちの大学だけと信じたいが、旧字が読めないという話を聞いた。
おいおい、書道やっててお前らなにやってんの?書道なんて旧字だらけだろ。最初聞いたとき信じられなくて、信じられなかった(変な日本語だ)。結局のところ、「漢字」も「記号」にすぎぬということか。
なんか、こういうのを聞いてると「書道」って名称じゃなくて「習字」でもいいんじゃないかって気がするよ。だって何か"書"いてるわけじゃないもんな。字を知らず、意味を知らず。記号を書き連ねるだけだったら、「書字」とかにすりゃいいんだよな。
お、この「書字」っていいな。広めよう。しっかりとした教養を持った人間が書いたやつを「書道」、字もわからず、内容もわからずってのを「書字」にしよう。
最近、以前よりも書に深く携わってきて書の関わる分野の大きさにびびりはじめてきた。知らないといけない部分が多すぎる。古文、漢文、文学から美学、芸術学、民俗学、史学、書が”書く”という必然から生じた文化のためか広大で深遠になっているのだらう。恐ろしい限りだ。
いやはや、なんともはや。
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