なんか宦官のことしか書いてないけど、まぁいいか。たまにはまじめな月があってもいいだろ。
三大宦官っていっても仇士良、劉瑾、魏忠賢とかいった悪の三大宦官!ドカーンといった類ではなくてですね、俗に言う宦官の英傑3人についてです。
勿論、3人といっても千差万別だとおもいますが、誰もが知ってて名前が挙がるっていえば
司馬遷
蔡倫
鄭和の3人じゃないかなとおもいます。
司馬遷は不滅の歴史書「史記」。
蔡倫は堂々世界に影響を与えたランク7位、紙の改良者。
鄭和は大明の威光を世界に広げた航海王。
と、歴史にのこる不滅の偉業をのこした宦官である点から上の三人が三大宦官と称されても詮無き事、、、、、といいたいところなんですが、どうしても個人的に司馬遷が宦官ってのは違和感があるんですが、どうでしょう。(まぁ、宦官の定義にもよるとはおもいますが。陰陽根がなくなったら宦官とかならありだと思いますけど。おいらとしては、本当にひどく漠然とした定義なんですが、宦官には宦官のなんていか独自の生き方というか、言葉にしづらい特徴みたいなものがあるんですよね。)
李陵を弁護したかどで武帝から死刑を命じられたが、史記のために宮刑に甘んじ、偉著をなした。ってのが大まかな司馬遷のエピソードでして、ウィキによると宮刑をうけたのが48才。その2年後に中書令(漢代だと内廷の秘書長らしい)に任じられるなど、宦官の職種にもついているなど、宦官であったことは間違いない。
ただ、それでも敢えておいらは宦官とよびたくない。
第一に、家柄がそもそも歴史家の家系で、教養高かった、つまり元々士大夫であったろうという点。
第二に、歳とりすぎ。人生五十年は敦盛だけど、ウィキだと60歳で死んでることになるんですが、48才で宦官、60才で死亡と、人生の末期に宦官になったにすぎない。それで、偉大な宦官というのは、例えるなら他のチームで功績を積んできた(元々歴史家)投手がペナントレース終盤で他チームにうつって(宦官になって)、優勝(史記完成)、司馬遷おまえの力が俺たちのチーム(宦官ズ)を優勝に導いた!、宦官ズのエースだぜ!とかってことでして、いやいや、違うだろと。もともと能力あった人間が最後に横滑りして宦官になっただけじゃん。
第三に、宦官になったのを屈辱と思ってる点。1と共通するけど、やっぱり士大夫ですよね、このへん。一時は自殺を考えたらしいですけど、五侯や十常侍が宦官になった時に自殺を考えたとかって話はきいたことがない。
(第四に、クリーンすぎる。宦官はもっとこうドロドロしているべきだ!さっき上で書いたけど、宦官臭がまったくしない。単に宮刑くらっただけじゃねーかというわけで個人的に宦官にいれてほしくない。。)
上の3つの理由から司馬遷を偉大な宦官と称すのには反対です。司馬遷の名誉のためにも、「不幸にして宮刑を被った史家」あたりが妥当。決して宦官じゃない、と言いたい。
ちなみに、蔡倫は給事宮掖→小黄門で最後に宦官の最高職である
中常侍という宦官ロードを歩んでます。最後は後宮のスキャンダルで自決しましたけど。(自決の際、士大夫として扱われてるけど)
鄭和は三宝太監ってところから言わずもがな、雲南人で12.3才で宦官になってます。
ひょっとしたら、他にも高齢で宦官になってる連中もいるかもわからないけど、寡聞にして聞いたことが無い。大抵幼少期か青年期からじゃなかったかなぁ、特に晩期はきいたことないなぁ。
まぁ、本当に一般の人っていうかおいら以外にとってどうでもいいことすぎてお困りだとおもうのでこの辺でやめます。
、、、読み返すと、司馬遷が宦官云々じゃなくて、史記が宦官の功績みたいに扱われてることに対する反論みたいになってんな。史記の執筆を宦官の行った業績に含めるなと言ったところ、、、、かな?
↓
つまり
↓
史記はぁー、歴史家司馬遷が書いたんであって、宦官司馬遷がかいたんじゃないのぉー!
何だこの結論。
どっとはらい
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